正月

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お正月は内祝いでない慶事としては最大イベントです。

明治5年から、新正月となりました。旧暦で正月を祝う地域、家族もあります。比較的、漁業関係者では旧暦の正月をお行うことが多いです。旧暦の基本は太陰暦ですから、海と月は関係が深いことが関係しています。

 

  • 元旦(初日の出)

元旦は、年が改まって最初の日の出のことです。日付の名称ではありません。「元日」と「元旦」は意味が違います。
元旦に「年神様」がご降臨すると信じられていたことから、初日の出を拝む風習が残っています。日の出を「ご来光」と呼んでいます。ご来光を拝むには、東側が開けた場所へ、宵のうちから出かけ、日の出を待って、日出を拝みます。海岸が適切な場所ですが、山岳では眼下に上りはじめる光景は素晴らしいものです。日の出をご来光と呼ぶ由来は、この山岳部からの日出を起源としています。特に、日出場所が晴れていて、自分がいる場所が「ガスっている。」時が素晴らしいのです。日光が、周りの水蒸気(雲)に乱反射し、自分の周りが光臨のように光ることがあるので、「御来迎」から「ご来光」となったと言われています。

正月の初日の出詣では新しい「しきたり」です。正月は、内祝いではないため、「家内安全祈願」は優先順位が低いのです。現在では、あわせて、世の中の安全も祈願します。特に、明治には、次々と戦争があったので、庶民レベルでも、国家の安全祈願、戦勝祈願が盛んでした。このころ、ご来光詣でが始まりました。

日本国家の「神道体制」、もこの頃強化されました。西暦740年に聖武天皇に「国ごとに国分寺を建立せよ」の勅がありましたが、明治に国家神道となっています。

 

  • 初詣

古来から永く行われていた初詣のしきたりは、一家の家長が、生活エリアを離れた由緒ある神社へ、元旦前から出かけ、その神社で新年を迎えるのが習わしでした。表向きは「公的祈願」でした。その頃、家族は自分たちの氏神様をお参りします。隠れて「内祝い」の祈願をするためです。新年のお参りは、「めでたい」が2倍になります。「二年参り」というのは、お寺が鳴らす除夜の鐘を聞きながら出発し神社で元旦を迎えてお参りします。その後、「恵方参り」と言うお参りが流行しました。恵方にあるなるべく有名な大規模の神社を選んでお参りするのです。

現在では、そのような風習はほぼなくなり、有名どころの神社はごった返す賑わいです。

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  • 門松

お飾りの一つに「門松」があります。お飾りは、大晦日に飾るのは良いこととされていません「一夜飾り」と呼び、ギリギリ感がよろしくなく、それは昔からで、現在でも変わりません。日本人は数字の読み方の「語呂合わせ」をよく行います。「縁起」にもこの要素は深く根付いております。「29」と言う数字は「二重苦」と読まれ、12月29日に正月のお飾りを行うのは、もっとも縁起の悪い行為とされています。そういったことで、28日が良いとされているのです。

門松も28日に飾りたいものです。本来は、左右2個の対ではありませんでした。平安時代までは、松ではなく杉が使われていました。この頃の絵画(巻物)は現在に多く伝わっているので、わかっています。門松の意味することは、神様光臨の際の目印です。つまり、あらゆるお家で神様は引っ張りだこです。日本の神様は800万神ですからあまり問題を聞いたことがありませんが、サンタグロースは大変な重労働でしょうね。

現在の様式である左右対は、向かって左を「雄松」、右を「雌松」と呼びます。植物に雌雄があるのありますが、松はありません。単純に左右の門松をそう呼んでいるだけです。

門松の形の作法に決まりはありませんが、竹の先端の鋭利な部分を切り落として飾っているのをよく見かけます。「争いから縁を切る」、「癒す」などの意味があるそうですが、風習としては、新しいものです。

門松のみならす、お飾りの飾る時間は7日までです。沖繩では、お飾りを多の地域とは違って、かなり長く飾っています。旧正月の風習が比較的多く残っているので、この時のお飾りのために残す場合が多いのです。沖縄では、テレビ番組などでも、旧正月に特集番組を組んでいて、スーパー等では、旧年末商戦も繰り広げられます。

 

  • しめ飾り

しめ飾りの本来の、目的は、門松とまったく同じです。神々のご降臨の場所の目印です。日本の神様は八百万神いらっしゃいますから、どこにも宿る神様がそれぞれにいらしゃるのです。しめ縄は材料の柔軟さからいろいろな大きさのものを飾ることが可能です。門松に比べリーズナブル、かつ、安価ですから、神様にお越し願いたい万物に飾ればいいのです。「しきたり」としては、このリーズナブルさが古来から好まれています。これも門松同様、飾る作業は「年男」の役目でしたが、現在では12月28日以前というルールだけで構わないでしょう。

目印です。つまり、ここが神聖な場所です。あるいは、そうであってほしい。というところに飾ればいいのです。交通安全祈願として、マイ・カーはもちろん、「ま・いいっか。」でよろしいと思います。私の感想としては、自動車のルームミラーに映る後続車にしめ縄がついているのを認めると安心な気分になります。毎年、年頭の一週間、このような気分でのモータリゼーションもあっていいのではないでしょうか。

多大勢の日本人が患う「痔」のためにトイレのドアに飾るのも有りです。とにかく、あらゆる専門神様がいらっしゃるのが「日本のしきたり」のいいところです。

しめ縄に原色のアクセントとして、「ダイダイ」が使われます。これの由来は、「しめ縄」だから。というものはありません。柑橘類でダイダイをチョイスしている理由は、この果実の特殊な性質からです。果樹からダイダイを収穫し、そのままにしておいても、この果実は非常に「モチ」がよく、なかなか腐敗しません。それどころか、橙色だった表面が緑に変色します。数日かけて、また橙色になるのです。これが幾度か繰り返し起こります。この特徴的現象が生命の復活を連想させ、縁起の良い果実とされました。ダイダイの語源は「代々」です。

鳥は、死肉を漁る忌嫌う生き物のように扱われることもありますが、この習性が、逆に、死人を天に昇らせる役目を担う生き物とする文化も世界には見られます。「鳥葬」という弔い法もあります。特に、日本では、古来から鳥を神様に近い生き物と考えていました。仏教伝来以前のことです。しめ飾りのダイダイが元日を待たず早々に鳥についばまれても、追い払う必要は無用です。それはおめでたいこととして考えていいのです。

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  • 年男

その組織や家庭内のお正月に関係する一切の仕事を行う男子のことです。江戸時代以前は、家長がこの役に任じていました。ですから、当時は「おせち料理」も男の仕事でした。年男の年末は多忙極まるもので、大変だったと文献に残されています。大掃除、飾り、その他の神事、元旦の行事なで、年を開けても、正月休みはありませんでした。

現在は、このような過酷な作業を一人がすることはなくなりました。主として祭事だけです。また、家長が務めるしきたりから、その歳の干支生まれの男子がになっています。地方により、旧年の干支であるか迎える年の干支であるかそれぞれです。

 

  • 鏡餅

三方に餅を二つ重ねますが、関西に多く行われている、3段重ねがあります。「火の神様」を祀るために、台所などの火気を扱う場所に飾る鏡餅に限っています。

正月に持ちを飾って「鏡餅」とするいわれははっきりしません。日本では室町時代にはすでに全国に定着をみていることから、かなり古い起源であることはわかっています。

2この餅は、「陰と陽」つまり、月と太陽を象徴しています。飾る期間は、「鏡開き」までです。他のお飾りと同様、12月29日、30日、31日を嫌いますので、28日から、鏡開きの1月11日までです。「1月7日に鏡開きをする。」は根拠のない勘違いです。「鏡開き」は鏡餅を割って食べる日ではありません。新年始まって、鏡を覗くことが許される日、つまり、鏡の解禁日です。

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  • 若水

元日に年神様にお供えする水は、元日の早朝に汲むことになっています。げんだいでは、もちろん、水道ということになりますが、インフラとしてのライフラインに水道がありませんでしたから、水汲みは日常必要な作業でした。各家は水をくむ場所がきまっており、その場所でいつもの様に汲みます、「若水」は元日早朝一番に年男が汲みに行き、まずお供えし、この水で元日のお雑煮などを作りました。とくに、この「逆水」を汲むにあたっては、「若水迎え」と言って作法があり、他の家からも年男が水を汲みにくるのですが、その人たちとであっても、一切話をしてはいけないのです。汲みに出発してお供えが住むまでは誰とも話してはなりません。
平安時代から伝わる儀式ですが、「話す禁」についての由来はわかっていません。作法のみが伝わっています。

 

  • お節料理

お正月料理と言えばお節料理で、お正月を向かえる前に作っておくことが一般的です。
本当は、各節句を向かるときに年神様にお供えする供物料理でした。やがて、最も重要な節句であるお正月の料理として定着しました。
供物料理ですが、年に一度ということから、豪華で沢山の料理を作ることができることから、日持ちのする料理が選ばれて今日のお節料理となっています。
お正月は来客も多いことから、すぐに出せるよう、お重箱に詰めるようになりました。料理は日持ちするもので構成されていますが、古来の日本の気候に合う料理ですから、琉球王朝として独立していた沖縄の気候ではこの季節でも常温は難しいです。

お重は、おめでたいお正月ということから、特に4段お重も許されています。むしろ、4段重が一般的で、5段は稀です。
それぞれの段に詰める料理にはおおよその決まり事があります。
・一の段 「口取り」を詰めます。口取りは「かまぼこ」、「伊達巻」、「きんとん」などです。
・二の段 「焼き物」を詰めます。「ブリの照り焼き」、「いかの松葉焼」などです。
・三の段 「煮物」を詰めます。
・四の段 「酢の物」を詰めます。

 

  • おとそ

元旦に家族揃って新年のあいさつを済ませあと、頂く薬酒です。

盃を回して頂くのですが、「お神酒」のような日本酒ではありません。唐の時代に中国で始まった薬酒で「お屠蘇」と書きます。
日本では、平安時代に宮中の正月行事として行われていました。現在でも、薬局で入手できます。
「みりん」を代用することが多きなりました。頂くのは年少者からです。

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  • お年玉

子供がお正月を楽しみにする最大の理由はこれです。
本来は、年神様からの贈り物です。年神様にお供えしたお餅を年少者に与えたのが始まりです。
現在でも、村人から選ばれた年男が年神様に扮装し集落を回って子供たちにお餅を配る習わしを続けている地方があります。
この集落の子供たちは、現代標準からみれば可哀想かもしれませんね。

上げるお年玉は地方でずいぶん額が違っているようです。沖縄では、両親のどちら一方が漁村出身であれば、その子は2度お正月があって、ラッキーな子もいます。「新正月」と「旧正月」です。
私個人的な思いですが、お年玉を貯金させるのはいかがなものかと考えています。無収入で、大人の保護下にいる子供に身分で、施しを受けたお金を貯蓄させることは、躾として反対する考えです。人として「施しを受けるものが貯蓄するべからず。」です。本来の弱者救済、福祉のあり方を子供のじぶんから教える必要があるのではないでしょうか。不幸にして生活保護を受けている者が、高額所得者を子供に持っていたり、保護として支給された金銭を、貯蓄、他の者に対する見得として祝儀を出すという輩を作っているのは、こうしたところに根本原因があるように思います。

 

  • 雑煮

年神様にお供えしたお持ちを下ろして、地方にごとに伝わる食材と一緒に似て頂くもので「雑煮餅」と言いました。ですから、本来はお種がつが終わっていから頂く料理でした。

室町時代では、雑煮は餅を入れて煮た食べ物のことでした。儀礼の酒膳で出された前菜としての雑煮が正月料理に転じました。

雑煮は地方色豊かです。食材、味、餅の形などは、地方で決まっています。
関西では白味噌仕立ての丸餅、関東ではすまし仕立て切り餅ですね。

 

  • 書き初め

新年2日に、恵方を向いて和歌を詠んだ(書く事)のが始まりです。宮中の儀式でした。庶民に広まったのは江戸時代で、寺子屋の習いにありました。明治以降、学校教育の習字となります。
書く内容が和歌でなく、豊富を示すようになったのは学校教育に取り入れられていからです。

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  • 初夢

新年2日目の夜見る夢を初夢と言います。
元日眠った時にの夢ではない理由は伝わっていません。
もしや、元日に眠った夢を言う時に謝って伝わったのではないかと思います。なぜなら、日本でも日付が変わるのは夜中の子の刻ですから、見た夢は日付が変わっているので、その夢の話の時に「2日の夜」と伝わったのではないかと思います。

初夢をありがたく思う風習は室町時代にすでに始まっていましいた。
良い夢を見るための「宝船」や「獏」の絵を枕の下に挟んで眠る風習はこの時代にすでにありました。

獏は空想上の行くもので、獏の餌は「悪い夢」だそうです。

宝船には七福神が乗船してます。この神様のメンバーは日本の神話の神様ですから、「初夢」は日本のオリジナルの風習でしょうね。

良い夢ベスト3は、1、富士山 2、鷹 3、茄子
ナスの夢ってどんな夢なんでしょうね。

 

  • 七草粥

1月7日に七草粥を食べます。無病のご利益があると考えています。

平安時代に中国から伝わった行事で、宮中行事でしhた。庶民に降りたのは江戸時代です。江戸幕府が定めた「五節供」によります。
*「五節供}については「自然と信仰」参照

現在では、伊勢神宮内宮、外宮に供物とて作られます。

七草は地方、時代で違っています。現在伝わっている一般的七草は、
短歌に歌われてるものです。
上の句
「せりなずな ごぎょうはこべら ほとけのざ」
下の句
「すずなすずしろ はるのななくさ」

大阪では「七草」と言う野菜が売られています。

七草粥は信仰の意味合いよりも現実的な効能が期待できます。
お正月、連日続く宴に供された食べ物は、供物のお下がりとはいえ、豪奢なものであったに違いありません。そこで、この日からは、質素な食事とし、胃腸の調子を戻すには役に立ちそうです。

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  • 鏡開き

1月11日に供物の鏡餅を下ろして食べます。1月7日に行うご家庭がありますが、誤りです。七草粥とは別の行事です。

食べ方んび決まりはありません。雑煮でも汁粉でも構いません。ただし、刃物で切ってはいけないことになっています。割って小さくします。

現代の鏡餅は、カビが生えることを嫌って、プラスチック容器に入っています。この餅は乾燥していないので切るしかありませんね。

江戸時代、徳川家光将軍にの時代に1月11日の行事となりました。本来は1月20日でした。これは、家光公の「忌日(きにち、きじつ)が20日であったことから、商家が行う行事、「蔵開き」の日に合わせたのが始まりです。

現在では日本の武道道場では稽古の後に皆で食べることが伝えられています。

 

  • 小正月

数年前の成人の日である1月15日を小正月と読み、小豆粥を食し、この年の用作を祈願しました。「枕草子」、「土佐日記」にも記されています。

小豆、米などの穀物の豊作を祈願するので、これを食べるのです。

沖縄にも神事として残されています。この地では、神事を司るのは女性です。そのことから、1月15日を「女正月」と言います。また、沖縄では、旧暦の正月も残っているので、神事は旧暦を使用します。
沖縄では、旧暦に行われ、この季節では種蒔きの時期であることから、小豆などの穀物を食べるのではなく、蒔きます。

本土でも、小正月を女正月といいう地域があります。東北では「なまはげ」、「かまくら」が行事で残っています。また、「どんど焼き(左義長)」もこの日です。*次に示す

 

  • 左義長

小正月に寺社で「どんど焼き」が行われます。

左義長(さぎちょう)のいわれは、平安時代の宮中行事に「三毬杖(さぎちょう)」と言う行事がりました。青竹を立てて、その周りでお飾りを燃やしていました。

また、「鳥(鷺鳥)追い」の行事もこの日です。

各家庭では、鎮守様や氏神様での「どんど焼き」へお飾りを持っていきます。このとき、長い串の先に芋や餅など、好きなものを刺して焼い食べても構いません。

 

  • 薮入り

江戸時代の商家の雇い人はほとんど住み込み従業員でした。現代のように「定休日」と言う概念はなく、しかも、交通網の制約から通勤の概念もありませんでした。したがって、住み込み従業員を「奉公人」と言いましたが、悲壮感がある制度ではなかったのです。むしろ、衣食住を保証されていたので、随分、主の負担は大きいものだたに違いありません。

そんな時代でも、毎年小正月の翌日(子の刻から!)と7月16日は休暇でした。奉公人は実家へ帰ったり芝居をみたりして楽しめる日で、待ち遠しい日でした。主は道中の経費、食事、土産代、遊興費とお小遣い(かなり大きな額だったそうです。)、新しい着物を負担しました。同業者間での見栄の張り合いも手伝ったそうです。

関西では薮入りのことを「六入り、禄入り」と言います。

「宿入り」が訛ったと考えられています。

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<by O.Youki 27dec14>

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