冠婚葬祭

トロピカルぬらりひょんが一押しする中古パソコン週刊情報はこちら






 

トロぬら一家が楽しい情報を集めました。

  • 婚姻

男女が恋愛し、その先の通過点として「結婚」を考える方が大勢いらっしゃいます。

しかし、ここで確認すべきことは、「結婚」が最終到達地点あるいはゴールと考えてはなりません。
婚姻を継続することが幸福である。とする考えから、中断を不幸とし、その不幸を避けるための慶事としての「しきたり」が存在します。

現代では、無論、婚姻の継続が幸福とは限りません。
中途絶縁が幸福の始まりとなることもありましょう。単純に生命保存としての意味だけで捉えるならば「結婚」はそれにあたります。

雌雄の結合によ環境適応力獲得のチャンスを得ることができ、自然界に豊かな生命を育む。
そのような自然科学的な価値だけでなく、人は、高次な思考による感情豊かな社会システムの維持として「婚姻」があるのです。

つまり、「婚姻」は自然界に存在しません。 「結婚」とは、著しく人工的な事業と言えます。

日本では、日本文化の継承として「結婚のしきたり」が存在します。
日本固有の社会システムの維持に大きな影響があるのです。

「家族」は人間社会の最小単位です。この「家族」単位の関係結合事業としての意味に重きを置いたことは自然な考えです。

トロピカルぬらりひょんは、「縁起のいい結婚」の制度が、婚姻にまつわる「しきたり」と考えます。

トロピカルぬらりひょんが一押しする中古パソコン週刊情報はこちら

トロぬら一家が楽しい情報を集めました。

 

結婚式と言う儀礼が現在普通に行われているような、結婚式場でなされるようになったのは、明治以降に少しずつ見られるようになり、一般的とされるようになったのは、戦後のことです。

結婚式場での結婚式は富裕層が行った豪奢、見栄の発露でした。残念ながら、この状態は現代にも引き継がれ、「2百人の立派な結婚式(本当は披露宴)だった。」とか言って、結婚式に要した費用の大きさや、集めた人の数による規模の大きさで立派か否かの判定基準にしています。まったくもって愚かしい限りです。

この愚かな結婚式がなくならないのは、そもそも、上流富裕層の生活様式を庶民が取り入れ始めた時代である江戸時代に端を発します。

江戸時代では「見栄」は立派であったのです。品格の判断基準がそれでしか測れなかったからであって、現代においてもその計測器を使用しているのは愚かです。即刻、このくだらないしきたりは封じる必要があります。

国学者、近代民俗学者である「故、柳田国男氏」によると、日本の結婚は時代を順に、
①婿(むこ)入り婚
②足入れ婚
③嫁入り婚
であったとしています。

①婿入り婚

平安時代前後の古い結婚の形態です。「源氏物語」を理解するには、この風習(当時のしきたり)を知らねば、大きな誤解を生じ、文学とは到底思えない酷い長文章となてしまいます。
当時は、男性が女性宅を通う「通い婚(通い婚)」あるいは「妻訪い(つまどい)」と言う形態で、同居していませんでした。「夜這い」のような形ですが、女性側が「公認」した男性との交わりだけを宣言することが当時の結婚だったのです。
したがって、結婚にかかる儀式は女性宅で行われました。

②足入れ婚

これは、一旦「婚姻」が成立します。それにかかる儀式は婿側宅で行われ、その宴のあと、嫁は実家へ戻ります。このあと、婿は①通い婚のごとく妻宅を訪ねます。出産し、子が乳を離れると、女でによる養育が著しく楽になるので、そこ頃から同居します。
この結婚様式は、現代のニーズにあっているかもしれませんね。お互いの「試用期間」がある結婚の形と言えます。この方式であれば、著しく、多分不幸であろう「離婚」の頻度は少なくなるでしょう。

②嫁入り婚

戦国時代から始まった形式で現在の結婚がこの形です。主に武家で行われた結婚ですが、江戸時代に庶民に広がりました。
人生における最大の豪奢な儀式がこの結婚式です。
現代では、完全にこの携帯が定着しているので、結婚関連産業として存在しています。
くどいですが、結婚に費用は必要いりません。婚姻の届出は、年中無休で国内あらゆる役場、役所で受理してくれます。
深夜早朝無関係、24時間365日OK!!

トロピカルぬらりひょんが一押しする中古パソコン週刊情報はこちら






 

トロぬら一家が楽しい情報を集めました。

  • 見合い

ここでは現代に引き継がれ守るべき伝統を「しきたり」として紹介、解説していますので、「見合い」については割愛すべきか考えましたが、やはり、かつての日本の伝統であった事実ですので、消しさらずに伝えようと思います。

もうすでに「見合い」はなくなっています。ここで言うべき「見合い」とは、合コンの類ではありません。かつて日本に存在した男尊女卑の風習でいう見合いです。

明治時代、地方集落では、つい最近まであった結婚に至る前のしきたりです。

男女に平等がない時代です。

見合いは女性宅で行われました。未婚(重婚もあったし、妾を得る時も行われました。)男性が仲人と一緒に見合い相手の宅へ趣ます。女性側に拒否権、選択権はありません。見合いが行われた時点で無条件了解です。

見合いの席に男と仲人が座ります。見合いの本人女性が菓子と茶(茶と茶請け)を運んできます。男はその時に作法や風貌等を観察(面接試験での入室要領のようなもの)し、婚意の表明はその場で行います。後日というのは御法度です。最低の日本男児とみなされますので、そのような優柔不断の姿勢を微塵にも見せると今後見合いはありません。当時、見合いなく婚姻はありませんでしたから、その態度は致命的です。

OKであれば茶を飲むか、菓子に手をつける、もしくは、扇子をおいて帰ります。
NGであれば茶を飲まず、菓子に触れません。扇子は持ち帰ります。

現代のこれを挙行すると訴えられる危険性がありますので、今はないしきたりでした。

トロピカルぬらりひょんが一押しする中古パソコン週刊情報はこちら






トロぬら一家が楽しい情報を集めました。

 

  • 仲人

本来、結婚において仲人が最も重要な役割を担う役職でした。

男女の触れ合い以前から深く関与し、縁組、結婚、結婚式に関するあらゆる段取り、結婚後しばらくまでの問題解決役、人事、経済関係保証人、最悪、離婚調停等に及びます。

平安時代の一般的な結婚の形であった、「通い婚」では、男女の取り持ちが中心的な役割で、身分の高い者の役目でした。

鎌倉時代になると、現代に通ずる、いわゆる会員制見合い業のような役割があって、有償で行われていました。

江戸時代になると、「嫁入り婚」が普通となり、両家の経済状態やステータスなどを考慮し、縁組が仲人により進められるようになりました。この時期から、金銭面での保証人も役目に入りました。

現代では、結婚式式典、披露宴での形式的存在が普通となりましたので、当然、形骸化は進み、「仲人」の存在もなくなりつつあります。

 

  • 結納

かつて、結納にはどのような意味があったのか。から説明します。

比較的、近代に近い昔までは、婚姻によって失う、嫁方の家の労働力損害補填と、婚姻破綻に際しての嫁の経済的救済保護(保障、慰謝、賠償)が目的でした。
つまり、酷い表現ですが、嫁方家に対する支払と保証金です。

美しく表現するなら、「勤労」に対する「報酬」が労働賃金ですから、金銭をもって人そのものに等価とされる額があります。当然です。

歴史順で見ると、結納は「結いの物」として、物品の交換がありました。婚姻が「婿入り婚」の時代では、男が女の家に初めてはいるとき、貢物として「酒肴(しゅこう)」を携えたのです。嫁方の家で宴を行うのですが、その際の一切の費用、準備を婿方家が負担する習わしでした。

戦国時代を経て、武家支配の世になった頃、「嫁入り婚」が定着したので、冒頭の支度金と言える物品を嫁方家へ送りました。これは、必ず仲人を中継されます。嫁方でも、嫁入り時には「嫁入り道具」を揃えて嫁入りしたのです。

品は、嫁方へは、婚礼の衣装一式、縁起物を、婿方へは、本人と大型家財道具、(婚礼家具)です。特に、結納と呼ぶ品は前者の婿側から嫁側へのことを言います。この贈答品は、両家の格式に相応しい物がルールでした。

現代では、物品を取り交わすには、嵩張らない縁起物に限られており、その代り、現金が嫁方へ送られます。その名目には、「御帯料」、「御袴料」と目録に記される通り、近代前の名残が残されています。

トロピカルぬらりひょんが一押しする中古パソコン週刊情報はこちら






トロぬら一家が楽しい情報を集めました。

 

  • 神前結婚式

この結婚式は日本の古い伝統様式ではありません。この様式で古くから結婚式をお子なていたのは皇室だけでした。

武家を初め、一般の人々が行う、宗教儀礼を結婚式に取り入れたものとしては、キリスト教様式のほうが先です。神前結婚式が一般に下ったのは時期ははっきり判っています。明治33年以降でした。明治天皇の御子息、つまり、大正天皇の結婚の義が一般に知られるようになり、それが真似られたのが起こりです。

この頃からは、マスコミの黎明期を過ぎた頃で、「新聞」が完全普及していました。そこでの報道が現在の神前結婚式を一般化させたのです。

三々九度の儀礼は、神前結婚式と関係ありません。中国を発祥とした儀礼です。

それまでの結婚式は、婿入り婚の時代では、嫁の家、嫁入り婚の時代においては、婿の家で、両家が結びついたことを示す、紹介、披露が目的でした。そこでも、仲人の存在は重要でした。

そのことから言えることとしては、現在もっとも近代的な結婚式とされる「人前結婚式(じんぜんけっこんしき)」が、本来の日本の伝統的結婚式と言えます。
しかし現在では、進行、アイテム等は結婚式業者それぞれの趣向を凝らした独自脚色となっています。
バージンロード、新婦の父によるエスコート、その行進の歩などはキリスト教様式を取り入れ、媒酌人である「神父」が欠落した、間抜けな形が多いようです。

 

トロピカルぬらりひょんが一押しする中古パソコン週刊情報はこちら






トロぬら一家が楽しい情報を集めました。

 

  • 三々九度

神前結婚式のところでも語りましたが、三々九度の儀礼式は本来の日本の神とは無関係です。しかし、形式美の観点から、神前結婚式では完全に定着し、必須の式次第となっています。

ルーツは中国にあり、縁起の良い数字として「3」があって、その自乗である「9」を重んじました。
しかしながら、日本では、「9」は「4」と並んで忌み嫌われる数ですから、ハレの日に使用するはずのない数字です。

このように、結婚にまつわるしきたりは、日本人に取って、最大とも言える重要儀式ですから、大国である中国のしきたりを無理くり取り入れてしまったのでしょう。

日本の神道と「酒」は深く結びついています。このことは、日本にかぎらず、アルコールの作用は神秘儀礼には大抵、ついているものです。

神前の儀式で、酒を飲むことは、最大の栄誉ある行為で、特に「お神酒(おみき)」と呼ばれています。お供えの下がりものを飲む儀礼が、結婚式での三々九度に変化(元根)したとする文献も多いです。

三々九度のもっとも意義あるところは、9回も杯を介した新郎新婦の間接キッスを多人数面前で行う所です。

日本には、西洋にある接吻は通常、人前では行わない行為です。古い時代では、公衆で性交を行っているに等しい行為です。これを結婚式の儀式に入れ込み、結婚を宣言し、婚姻を解くことができぬよう担保したのでしょう。

三々九度は形式がすでに整っていますから「しきたり」です。そのやり方を説明します。

トロピカルぬらりひょんが一押しする中古パソコン週刊情報はこちら






トロぬら一家が楽しい情報を集めました。

 

三々九度は「三献の儀」、「三三九献」とも言います。式次第(結婚式のプログラム)が配布されていたら、そこにはこう書かれているはずです。

小さい方から「一の盃」、「二の盃」、「三の盃」の3っつの盃が三宝に乗せられています。先ず、新郎が両手で巫女から3回に分けて酒(お神酒)を注いでもらいます。新郎は3回杯に口をつけますが、実際に飲むのは3度目だけです。必ず、新婦が飲む分を飲み残さねばなりません。その盃を新婦に渡し、新婦は両手で受け取り、新郎と同じ手順で飲みます。

「二の盃」は新婦が巫女から受け取り同様の作法で酒を飲み、新郎に渡します。

「三の盃」は「一の盃」と同様です。

くどいですが、この作法は固く守られていますので、このとおり行います。しかしながら、作法の根拠は「3」と言う数字に意味があるだけです。そして、それを「お神酒」で行うことくらいです。確かに、神前結婚式から三々九度を除いたら、殆ど何もないので、全く間抜けな式となってしまいますね。

 

  • 披露宴

お披露目のための宴ですが、ここでは、無論、結婚の披露宴を説明します。

「同級生から結婚式の招待が来たよ。」と言うことがよくあります。大抵の場合、そのお友達の結婚式に出席(参加)するための招待ではなく、結婚式後に行われる、「結婚のお披露目の宴会」だけに招待されていることがあります。披露宴は、結婚式直後でないこともありますし、別の場所であることや、新郎新婦の実家が遠隔地であるため、それぞれの故郷で複数行うこともあります。

最近では、リゾート婚とかが流行っていて、海外で結婚式を行い、帰国後お披露目と言うケースもあります。

明治以降は、主に新郎の家で行うことが多くなりました。この時の範囲は新郎側の親戚、知人、ご近所様で、翌日に、新婦側のお披露目がありました。新婦側のお披露目では宴が催されることはなく、新郎の親が新郎新婦とともに、各家を訪問し、あいさつすることにより、お披露目としました。

明治以前では、村外からの嫁を迎える場合は、新郎の住む村全体にお披露目が必用でした。これにより両家の結婚が公認されました。

現代の結婚披露宴は、明治から始まった、ほぼ、神前結婚式の作法を由来とした宴となっています。神前結婚式の広まりとともに、披露宴の規模が大きくなり、結婚の儀式としては、結婚式本体より披露宴の方が重きが置かれるようになり、、冒頭の、結婚式の招待は、披露宴出席のことを指すようになりました。

最近、回顧的なムードが広まりつつあり、多数の席を用意して、招待者全員が結婚式に参列することも行われています。特に、結婚式に特化したいわゆる「結婚式場」では、席として、ベンチを使用し、チャペル風の設備が必須となっているようです。

  • 桜湯

結婚披露宴で開宴を待つ招待者に出される「お茶」のことです。結婚の儀式では、「茶」は忌言葉で使用できません。そこで、お茶に桜の花びらをあしらって出したことを由来とし、お茶のことを桜湯と呼びます。

  • お色直し

目的は、おそらく新婦の休息の時間でしょうが、由来は所説あります。

①結婚式の新婦の服装から、披露宴の服装を変えたことに由来する。

②新婦の純潔を意味する白無垢の服装から、結婚後、嫁いだ家を象徴する、新郎側の家紋の紋付正装に着替えたことを由来とする。

③披露宴を豪奢にするための演出として、演劇等の「幕」を取り入れたことを由来とする。

最近では、③の意味合いが強いので、本来、新婦のみのしきたりでありましたが、新郎も和服と洋服の着替えを行う形式が多くなりました。

いづれにしましても、新郎新婦は長時間緊張を保たねばならないので、休息の必要性はあるでしょうし、出席している招待者にもある程度の緊張感はあるので、「お色直し」は有意義であるにちがいありません。

トロピカルぬらりひょんが一押しする中古パソコン週刊情報はこちら






トロぬら一家が楽しい情報を集めました。

  • 引出物

確認されいる古い引出物は「馬」でした。

>>資料取集、確認中・後述<<

  • 里帰り

>>資料取集、確認中・後述<<

 

<以下、不定期、かつ、継続して加筆更新を行います。by O.Youki:20aug16>

サブコンテンツ

株式会社ファンメディア

日本最上級の皮革製品専門店【ココマイスター】

【大黒屋トラベル】国内格安航空券

このページの先頭へ