自然と信仰

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  • 暦(れき)

人は農業を手に入れた時から高度に文明を発展させました。一日を刻む時間よりも長い時間の経過による自然現象に変化を考慮した生活が必要となりました。「しきたり」の起こりです。

身の周りの変化では、日中、夜間の「明るさ」の変化が顕著に示す「時間(一日を刻む時間)」が万物の生命にもっとも大きく影響するので、身体に起こる変化を知ることで十分生活ができました。「体内時計」です。

夜、眠くなる生き物、活動する生き物。朝、花を咲かせ活動する物、眠りに入る物。それぞれ、得意なリズムで生活しているのです。しかし、「文明」が芽生え、明暗の変化のみを時として捉えるだけでは生活が著しく不便となりました。農耕文明の営みに、気温の変化として、「季節」を生活に取り込まねばならなくなりました。「暦」です。

地球自身の運動を根拠に刻む時刻は「一日」です。私たちの地球に引力として大きな影響を与える天体は、太陽と月です。地球におよぼす影響の度合いは「月」の方が遥かに大きいです。

月の見かけの形状も大きく変化し、人はこの形の変化と潮位の変化に関係があることを古くから気付いておりました。太陽も僅かに影響することも知っておりました。

しかし、見かけの形が変わる月を暦に応用することの方が容易であったため、月の形状をもとに1ヶ月29日という単位を考えました。古く、月を「太陰」と呼ぶことから、この暦を太陰暦といいます。

太陰暦は、季節の変化に誤差が生じ、この誤差は無視できない大きなものであったため、「修正」が必要でした。そこで、人はもう一つ影響の大きい「太陽」がもたらす気温変化をもとに一年365日の太陽暦を作りました。

地球のあらゆる生命は、年変化を身体に現しますが、もっと短い周期でさらに大きな変化も起こります。人は、この変化が潮位と一致していることも知っていたので、太陰暦を利用することも必要でした。

私たち日本人は、明治5年以前までは「旧暦」を用いておりました。この暦は、太陰暦に太陽暦を起因とする「二十四節気」を取り込んだ暦です。つまり、自然を生活に取り込んだ有効な暦でした。日本人祖先は永くこの暦を用いていたため、「日本のしきたり」に多くの事柄が「旧暦」に組み込まれています。

そして、この「しきたり」は、日本の文化そのものでもあります。幸い、日本国内で使用される多くのカレンダーには「旧暦」も合わせて掲載されています。

伝統文化により保護されている私たちは、旧暦を知ることで、大きな安らぎを得られます。年中行事、季節折々に、「旧暦」の日付を知ることは、身体それ自体が自然の一部であることから、心身ともにストレスの軽減、リフレッシュに役立つのです。

二十四節気の中の4つには、日本の「国民の祝日」にある、「春分の日」、「秋分の日」があります。この他に「冬至」、「夏至」を含めて一年を四分した日があります。毎年決まった日となるのではなく、天文観測から導かれた科学的根拠に基づいた日です。

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また、「立春」、「立秋」、「大寒」などの言葉もよく聞かれます。これらも二十四節気の中に含まれています。この「二十四節気」は、太陰暦と太陽暦のズレを修正するために中国で考案された「季節」です。

一年(太陽暦)を24分割し、それぞれに名前が付けられています。この季節分けは、日本の季候と合わない時期がありますので、これを補正するため、「土用」、「八十八夜」、「入梅」、「半夏生(はんげしょう)」、「二百十日」などの「雑節(ざっせつ)」と呼んでいる季節の名称を組み込んだ暦が、明治5年元日以前まで日本で使用されていた「旧暦」です。

旧暦は、江戸時代から使用されています。従って、「旧暦」は日本古来の伝統オリジナル暦で、日本人の生活様式に最適化されたカレンダーといえます。

 

  • 雑節

中国暦(二十四節気)を日本の季節の合わせた暦が旧暦と説明しました。
この歴には、日本独自の季節名称があります。全部で9つあり、さらに2つ加えることもあります。一部は二十四節気の名称が含まれています。
これに、・三元(上元・中元・下元)、盂蘭盆、大祓を加える場合もあります。

雑節は次のとおりです。

・節分。「行事」で説明しています。

・彼岸。「行事」で説明しています。

・社日(しゃにち)。 産土神(うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ)を祀る日です。氏神様は血縁関係を元に成立している神ですが、産土神は地縁による信仰が元になています。鎮守様ににていますし、鎮守様を産土神にして祀っても構いません。日本の神は懐が広く、信仰する者にの医師が優先されます。神道は進行するものに修行を求めません。
社日は年2回あります。春分、秋分にもっとも近い戊(つちのえ)がその日ですが、春分、秋分は天文現象を元に決められているため、移動します。春分、秋分が二つの戊の中間)癸(みずのと)にある年は、厳密な天文観測データのもと、春分、秋分現象となる時刻が午前であれば、前の戊の日、午後ならば後の戊の日とします。
行う事は、産土神をさんお会いし、春は五穀を供物として豊作祈願を行います。秋は、収穫を感謝します。
春の社日に酒を飲むと耳が良くなります。島根県安来市社日町には今もこの行事が残っています。治聾酒(じろうしゅ)と呼ばれています。

・八十八夜。「行事」で説明しています。

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・入梅。6月11日です。梅雨が始まります。

・半夏生。昔は、夏至から数えて11日目でしたが、黄軽100度のひ、つまり7月2日です。kの日までに田植えを終わらせ、農家は休暇に入ります。農家の休暇はこの他に七夕があり、りょうしゃとも5日間休みます。

・土用。「行事」で説明しています。

・二百十日、立春から数え209日目、9月1日です。台風が来る日とされています。自然災害に注意を払う人されています、関東大震災は無論偶然です。夏目漱石著作に愉快な二人の若者の友情小説「二百十日」があります。

・二百二十日。個人に関係なく大厄日です。実際の統計では二百十日よりこちらの方が災害被害は多いです。

・初午。「行事」で説明しています。

・三元の上元。1月15日。正月の「小正月」で説明しています。

・三元の中元。日本ではお盆にあたります。「行事」で説明しています。

・三元の下元。日本ではあまり意味がありません。収穫祭、豊年祭に変わっています。

・盂蘭盆。日本では古来から紆余曲折し、現在では「お盆」として定着を見ました。

・大祓。6月30日と12月31日に神社で行われる除災行事です。人類の犯した罪とあらゆるケガレを取り除く行事です。一般の者は見学程度で、行事に参加や主体となることはありません。

 

  • 二十四節気は次のとおりです。

・春
・立春(りっしゅん)<正月節>  : 目安 24日            暦として春の初日。節分の翌日。
・雨水(うすい)  <正月中> :  〃 218日~19日     融雪し、雨が降り始まる頃。
・啓蟄(けいちつ) <二月節> :  〃 35日~6日       冬眠中の虫などが地上に這い出す頃。
・春分(しゅんぶん)<二月中> :  〃 320日~21日      春の彼岸。昼夜の時間が等しい日。
・清明(せいめい) <三月節> :  〃 44日~5日       沖縄県では「シーミー」と呼ぶ。
・穀雨(こくう)     <三月中> :  〃 420日~21日    穀物が成長を始める頃。

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・夏
・立夏(りっか)  <四月節> :  〃 55日~6日        夏が始まる日。
・小満(しょうまん)<四月中> :  〃 521日             草木が繁季節。
・芒種(ぼうしゅ) <五月節> :  〃 65日~6日        麦などの穀類の種蒔きの日。
・夏至(げし)   <五月中> :  〃 621日~21日       日中時間が最大の日。
・小暑(しょうしょ )<六月節> :  〃 77日~8日          厳しいしい暑さが始まる。
・大暑(たいしょ) <六月中> :  〃 722日~23日     暑さのピーク。

・秋
・立秋(りっしゅう)<七月節> :  〃  87日~8日         秋が始まる日。
・処暑(しょしょ)  <七月中> :  〃  8月23日~24日     暑さが終わる日。
・白露(はくろ)  <八月節> :  〃  97日~8日         草に露が見られ始まる日。
・秋分(しゅうぶん)<八月中> :  〃    923日             秋の彼岸。昼夜の時間が等しい日。
・寒露(かんろ)  <九月節> :  〃  108日~9日          寒気が始まり、露が霜になり始める日。
・霜降(そうこう)  <九月中> :  〃  1023日~24日     霜が降り始まる日

・冬
・立冬(りっとう)   <十月節> :   〃   117日~118日   冬が始まる日。
・小雪(しょうせつ)<十月中> :  〃 1122日~23日    降雪が始まる日。
・大雪(だいせつ)<十一月節>:  〃 127日~7日        雪が深くなる季節。
・冬至(とうじ)   <十一月中> :  〃  1221日~22日    夜間が最大の日。
・小寒(しょうかん)<十二月節>:  〃 15日~6日       寒気、降雪が激しくなる季節。
・大寒(だいかん) <十二月中>:  〃   120日~21日     寒さのピーク。

以上が二十四節気ですが、大陸(中国)の季節にあった名称、意味ですから、日本とは少しズレがあります。 日本人の私たちには、季節感の表現として季語などに用いることができます。

  • 干支(えと・かんし)

日本の十二支はご存知のとおり動物の名前が用いられていますが、文字が本来の文字ではありませんね。文字は時計の数字に一致します。偶然12種類となったのが、ヨーロッパ発祥かはわかっていません。また、日本にこの文字が伝わった時に、なせ動物の名前が与えられたかもわかっていないのです。念のため下に順序通り示します。

1⇒子 2⇒丑 3⇒寅 4⇒卯 5⇒辰 6⇒巳 7⇒午 8⇒未 9⇒申 10⇒酉 11⇒戌 12⇒亥

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ここで、十二支と説明しました。「あなたの干支は?」と尋ねられたら、上記のどれかを言うはずです。実は、干支は60種類あるのです。

もう一つの方、「十干(じっかん)」を確認します。

1⇒甲(きのえ) 2⇒乙(きのと) 3⇒(ひのえ) 4⇒丁(ひのと) 5⇒戊(つちのえ) 6⇒己(つちのと) 7⇒庚(かのえ)
8⇒辛(かのと) 9⇒壬(みずのえ) 10⇒癸(みずのと)

以上ですが、さらに実は。があります。

中国の暦には「五行」という数字があって、それは、木、火、土、金、水です。
さらに、陰と陽に当たる、兄(え)、弟(と)がありました。もう、お分かりでしょう。日本の「こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)」の等級などを示す言葉は、本当はこちらが中国読み、つまり、音読みで、上記の「きのえ」から始まる方が訓読みなのです。だから、本来「きのえ」の方が読みやすいはずなのですが、現代人では殆ど読み書きできない状態になっています。

また、「五行」を二つに分けた「兄弟(えと)」が常げられて、「木の兄⇒きのと、木の弟⇒きのえ」となったのです。

そうして、この10種類と12種類の最小公倍数である60が「一巡」とされます。還暦の祝いは、生後一巡した長寿のお祝いです。

十二支は時刻と方位にも使用されました。円盤の時計と同じように、子を12のところへ置き、右周りに並べていきます。「子の刻」は0時にあたります。方位も同様で、「子の方角」は真北です。日本の大型船舶の操縦は、一人ではできないので、指揮官がそれぞれの担当者に指示して運航します。そこで、「オモーカジ」は「卯の舵」のことで、右へ舵を切るための号令です。「トーリカジ」は左です。
また、「北東」は丑と寅の中間ですから、「丑寅」で、「艮(うしとら)」の方角といいます。同様に、南東、南西、北西は、「辰巳」の「巽(たつみ)」、「未申」の「坤(ひつじさる)」、「亥戌」の「乾(いぬい)」です。特に、艮の方角は「鬼門」とされています。

ちなみに、甲子園球場は「甲子(「きのえ」の「子」)の年に落成しました。

  • 多神信仰

キリスト教、イスラム教は唯一絶対神です。それぞれ、信仰の対象は「万物の主」であり「預言者アラー(アッラー)」唯一です。

日本は万物自然神が信仰の対象です。そこいら中あらゆるところ、有るゆるものに神が宿っています。つまり、目に入るあらゆるものが信仰の対象なのです。この考えは、日本独特の「柔軟さ」の所以かもしれません。起源500年頃から、大和朝廷は「神」と「仏」を同時に祀り始めました。天皇家のご先祖様が神であると同時に、天皇ご自身が各国ごとに国分寺を建立せよ。と勅(みことのり)を出しています。神仏両方の信仰は海外では、顔をしかめる人もいらっしゃることは事実です。しかし、この信仰の形態をそのまま写して、日本の伝統でもあるのです。

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神道では、神が大勢いらっしいます。その数八百万神です。ギリシャも多神教ですが、ギリシャ神話に登場する神々の数とは桁が並外れて違っているのです。万物に神が宿っているからです。

現在、「古事記」の現代訳をされた著者の著作権は切れておりますので、「青空文庫」で無料で読むことができます。大勢の神様が生まれてこられる様子が解りやすく書かれています。是非読んでみてください。

10月を神無月と言い、多勢いらっしゃる神々が出雲大社に集まるため、地方から神不在となるので、神無月と呼ぶ。というのは誤りです。「神の月」が「かんなづき」と発音されそれに文字を充てただけです。

  • 氏神と菩提寺

私たちが詣でする神社は、普通、自分の氏神様へお参りすることが「しきたり」です。この氏神は、血縁集団に関わる神です。日本人は農耕文化により文明を発展させました。土地に絡む生活様式であるため、血縁者が広く離れることは少なかったので、氏神はそのまま、その土地、地域の鎮守となりました。本来は、土地の神として鎮守の神、一族氏(うじ)の神が氏神です。生活様式にマッチした形態となったのです。子の安全祈願、新年のお参りなどは、もっとも身近な神である氏神様へ。ということになります。しかし、高度な社会、交通の整備により都会や地方へ移住した人々も大勢ですので、氏神様は現代的でなくなりつつあります。私たち個人に氏神様が決まっているという考えはなくなってきています。日本は信仰に関し、柔軟な考え方を適用できます。近くの神社に祀られている神様が新しく自分たちの氏神様になってくださいます。

一方、寺院は、700年頃から天皇の勅(みことのり)により、広く全国に置かれました。古くから、「生」に関する信仰的行為は神に、「死」にまつわる事柄は、仏に。という考え方が定着したようです。明治初期に、厳しく、時の政府指導により、神仏分離が進められましたが、古くからの伝統を変更させることはできなかったのです。奈良、平安の時代は、夜の闇を魑魅魍魎と信じ、恐れ、死に対」する恐怖の念は大変なことであったと想像できます。疫病、戦など、現代から比べると「死」は極近くにあった恐怖です。民を癒し、また、現代の役所のような役目を「寺」に与え、全国に国分寺が建立されました。住民は土地に固定されていた時代です。戸籍に当たる統計管理は寺の仕事でした。それが「菩提寺」です。

氏神様、鎮守の神様、菩提寺は個人、家庭に近い位置にある神仏です。

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  • 「ハレ」と「ケ」

日本人は、普段の日を「ケ」、特別な日を「ハレ」としていました。
ハレの日は、縁起よく、楽しく、明るい日です。ケの日は、特に嫌うべき日ではありませんが、普通の日です。詳しくみると、縁起によって守られている日ではないということです。縁起が悪いのではなく、縁起がいいとは言えないだけの普通の日ですから、事故もありえましょう。そんな日のことです。従って、ケの日は、普段通り暮らします。ハレの日は、おめでたいことであるべき事をこの日に企画します。社寺の祭礼や法会、結婚をハレの日に行うし、その日でないとダメな場合は、その事業を行っている日自体をハレの日としました。つまり、ハレの日は干支や暦により予め決まっている日と、移動してきた日とがありました。このあたりも柔軟です。

ハレの日は明るく楽しいいですから、待ち遠しい日です。こんな日は普段着ではない着物や豪奢な食べ物、酒などが出され、祝って喜ぶのです。日本人はこうしてケジメを取り込み生活にメリハリを持って過ごしていました。

ケの日は普段の日ですが、ケにも及ばない日がありました。つまり、ケの状態すら枯れている日です。「ケガレ」です。ケガレは予めわかっている日ではありません。干支や六曜などで、「凶」とされる日は江戸時代からです。つまり、ケガレは突然やってきます。古日本人は非常にこの日を嫌いました。ケガレとされたものは大きな出来事として3つありました。「死(死亡)」、「病(発病)」、「出産」です。特に、出産は、後に安全が担保されるような文化を得ましたが、当時は高い確率で「死」に繋がる事柄でした。出産はリスキーな事だったのです。

「ケガレ」はそれ自体を忌み嫌いますから、ハレであるべき祭事は順延、中止されました。

  • 五節供

江戸幕府がこれまでにあった行事、式日を天下のもとに統一し公布しました。この式日を「五節供」と呼びます。

1月7日:七草の節供
3月3日:桃の節供
5月5日:菖蒲の節供(端午(たんご))
7月7日:七夕祭り
9月9日:菊の節供

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<by O.Youki:27dec14>

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